ネタが無いので、先の記事に続いて毒を吐いてみる。
多くのサイト、ブログ、メールで…タイトルの通り「なぜ?行頭に空白を入れないのか?」かを邪推してみた。
行も段落もへったくれも無い文章が多く溢れていると言うこと。
あと、カギ括弧”「」『』”の使い方が変で、いきなり2重カギ括弧を使うとか。
つか、答えは出ているようにも思える。
「本、新聞を読まない人物が、ネット上で安易に自ら書いた文章を披露することが可能になった。」
「日頃から文章を読み書き慣れている者も、『ネット上には正式な国語はない』『みんな行頭が揃っているから』と釣られてしまっている。」
国語的に合っている?間違っている?のも重要ではある。
しかし問題は「余所がそうだから自分もそうした」的な、間違った常識がスタンダードになっていることにもある。
「いいじゃん。読めるから!」
で良いのか?
いわゆる「黒い文書」漢字が多いから単に黒く見えるだけなのだが…時に避けるべき場合もある。
そして、意図的に「黒い文章」にすることもママある。
しかし「行頭に空白が無い文章」は根本的に話が違う。
本当に読んでもらいたいのか?読みやすくしたいのか?
もっと、本とか新聞を読もうよ。
正直、「黒い文書」「行頭に空白が無い文章」両方の要素を兼ね備えていると、読む気が失せる。
良いことを書いているのかも知れないが、読むに値せず。
1番笑わせてもらったのが、どことは言わないが「ゆとり教育」に批判的なブログであった。
思わず、「君が『ゆとり教育』をうけていたのではないか?」と突っ込みを入れそうになったが…やめた。
こと、国語的にはそういう内容だ。
わたしも大して国語には明るくないが、最低限「行頭の空白」は徹底している…と言うか手が覚えている。
わたしの関連するサイト、ブログ、メールも「全く国語的に間違っていないか?」と言うとそうではない。
ネット風に変化しているものもある。
ただ、言えることは。
今も散文、放文を重ねている方々へ。
「あなたと同じ書き方の文章が、本とか新聞で見かけたらどう思いますか?」
ってこと。
まず、無いけどね。
「キレイと思う」「大いに賛同できる」と思った方は、小学校ぐらいからやりなおしたら良いと思いますよ。
適切な段落、字下げができるようになると、サイト、ブログ、メールも1ランクアップするでしょう。
ネタが無くなったので…どうでもいい話。
わたしとしては珍しく記事本文で「毒を吐きます」が、お気に障った方はごめんなさい。先に謝っておきます。
暇な時にミクシィをクロールしていて、ふと目に付く2点の注意書き。
1つ目「直接の面識の無い方、及び突然のマイミクシィリクエストはお断りします。」に似た意味合いのもの。
これは理解できる。
って言うか、ミクシィは本来こういう使われ方を想定しているわけで。
単に同じコミュに入ってるとか、足跡からマイミクリクエストってのは想定外でしょう。実際は多いけど。
もっとも、面識の無いマイミクに関連して、最近では物騒な事件も起きているのだそうだ。
2つ目「マイミクシィに登録されていても交流の無い方は削除します。」みたいな感じの注意書き。
これが理解できない。
交流の無いマイミクさんがいて何か不都合があるのか?
マイミク同士は常に交流していないといけないのか?
なんか、常に馴れ合ってチヤホヤされていないと気が済まないような…了見の狭さを感じる。了見の狭さと言うか…なんか自意識過剰?
そりゃま、追加しようが削除しようが本人の自由だけどさ。
何かの縁で1度は追加になったわけでしょう?交流が停滞する時期もあるだろうし、ある日から活発になる可能性もあるわけじゃない?
それが「人の縁」と言うものじゃないのか。
もっとも、自分自身が「来るものは拒まず。去る者は追わず。」だから、そう思うのかも知れないけどね。
少なくとも、マイミクを最小限にしようって合理的理由が見つからない。
そんなドッペルゲンガーは、マイミクさん少ないのでしたw
みんなはどう?